ハイ セイ 宴もたけなわ~

母が病気という事で入院~手術を経るので、7月22日に仕事を終えてから大阪に帰っていた。母は、パート先というか、周りの人にも病気ですねん、手術しますねんということは秘密にしていた。身内で唯一知っていたのが私と兄と近くに住む叔父家族だった。

うちの身内はなぜか医療関係者が多く、もし病気ですねん手術しますねんということを言えば、あの病院はだめだ、この薬はダメだ、その手術はダメだと口をはさんできてめんどくさいと思うねん。との事。安易にそのめんどくささを想像できて、お母さん正解!と思った。パート先に言わなかったのは、ただたんにめんどくさかったらしい。

パート先に娘のところにいくからという理由で長期休暇を取っていたため、私は病院と午前のヨガが以外なるべく外出を禁止されていた。近くのスーパーに行くときもめっちゃ自転車こいだり、とりあえず俊敏に動いていた。

母はバイタリティ溢れるひょうきんな大阪のおばちゃんなので、とにかく明るかった。

うちの母は、とにかく行動力が半端なくて、話が早い人。

母は看護師さんに連れられ、手術室に歩きで向かい、それを見送る私と従妹。看護師さんは、明るく見送る我々にとにかく驚いていたようで、この仕事長いけど、手術前にこんな明るい患者さんとご家族は初めてだと言っていた。普通にばいばい~!がんばって~!みたいなノリで送りだしたけど、これが永遠の別れだったら結構悔いあったかもなと思った。手術は無事終わり、一日、一日、回復していく姿をみて、腹腔鏡手術まじぱねぇ~と思ったり思わなかったり。手術前日とか次の日とかの姿をみてしんどいんやろうな、大変やなと思った。健康一番!と思った。不謹慎やけど母からきいた生命保険の話にあがってしまい、めちゃくちゃやばいな!と真顔で相槌を打ってしまうわけだった。母が、子供が病気だと自分が変わってあげたいと思うけどそれは無理な話やから自分がなって本当に良かったって、病気になったことに対しては何も思わないと言っていて、真剣に後追いするから頑張ってと返した。

母の友人のお子さんが病気になって、母の友人が「おかあさんが病気になればよかったな、変わってあげられなくてごめん」的なことを言ったら、母の友人のお子さんが「お母さんが病気になればよかった」と返したそうで、普通にひいた。

帰る日までずっと見舞いには行っていて、手術の次の日以外は、母のベットの上に座り、寝たり、野球を見たり、ネットをしたりしていた。絶飲食の母の隣で普通にコーヒー飲んだりしていた。見回りにくる病院関係者の人がカーテン開けた瞬間におどろいたり、仲良しですねと微笑んだりしていた。帰るころには水は飲めるようになっていた。

その週の日曜日にこっちに帰ってきたのだけど、母が入院しているのになあ~悪い娘だな~と落ち込んだりしていた。もう宴もたけなわやし、大阪にでも帰ろうかな、完全撤収しちゃおうかなとか思ったりもしながら新幹線でうなだれながら酒を飲んでいた。

うなだれながら、電車にむかい家にむかう電車に乗っていたら御飯の誘いを頂き、まだ今日を終わらせたくないという気持ちがあり、承諾。終わらせないぜー!と思いながら時間になり、小岩へ。明洞へ。

素面かつ夕方にいくんだ!と決めたあの日から数日経ったかな。普通に素面ではない。

エアコン壊れててあの世なのかなと思った。絶対終電で帰ると思っていたのだけど、楽しくてついついだらだら居座って飲んでしまった。

まだまだ完全撤収したくないなあ、もっとここで遊んでいたいなあ~と思ってしまった。今日を終わらせないために、小岩に行ったけど普通に今日は終わり、明日がきて、今日となった。次の日をむかえた私が一番、言いたかったことは健康一番!ということ。それにつきる。

8月の2週目からまた帰らないといけないことを思い出し、今週に夏の思い出というか、めっちゃ遊ぼうと決意した。